2011.5.24.火.

滞ペ記 第二回<ヘイヘイフートン(イントゥーザ多肉植物)>

滞ペ記 第二回 ヘイヘイフートン(イントゥーザ多肉植物)
※オリジナルバージョン

どこまで行ってもどこにもたどり着かないようなタクシーも、やがてはどこぞの路肩に停まった。運転手は早口で何かをまくしたてながら暗闇の向こうに見える小さな灯りを指差し、ハッと短く笑って去った。通りはなんだか室内犬の腹の毛みたいなにおいがする。灯り近くまで歩いてみると、それは「ニュー東京カッコイイ洋服店」と片仮名混じりで力強く作られた、午前0時には不似合いなネオン看板だった。店自体はすでに閉まっているらしい。ほの暗く浮かぶショーウインドウには、アディダスを模したような白地に黒の3本ラインスニーカーが飾ってある。ただ、その靴は強烈な異形のムードを放っている。くるぶしの両側に、合成樹脂で出来た文庫本サイズの白い羽が無理矢理に噛まされているせいだ。これが北京だ。ロマンチックだ。その店の角を曲がるとすぐに目的の青竹園賓館(チンジューユエンホテル)というホテルに行き当たった。

 通された部屋はこぎれいなツインルームで、リノリウムの床がスリッパに粘る感触が古い台所を連想させた。テレビをつけるとカラフルな衣装を仰々しく身につけた役者達が現れる。でかい冠の年増女が、目の端を朱色ではね上げた若い女をにらみににらむ。テレビ台の引き出しを開けると「多楽士」というコンドームの箱が転がっている。中身を取り出し、パッケージの1つを破ってみるとそれは厚く青白く、とてもとても冷たい。屋上にあがると星がよく見えた。目の前にある劇の専門学校のガラス窓に、光が反射していた。

 朝になって外に出てみるとそこは南鑼鼓巷(ナンルオグーシァン)という通りだった。食堂や喫茶店、ノート屋、雑貨屋、Tシャツ屋、毛沢東グッズ屋、写真屋といった雑多な個人店たちが強めのアクをにじませながらも整然と道の両脇にひしめきあい、お洒落と大時代の境界線を攻めている。そして、少し脇道に入ればそれは昨夜の暗闇の正体、胡同(フートン)が立ちのぼる。胡同ってなんだろう。それはただの古い路地だろうか。たぶん違う。その壁を見ればそれは明らかだ。くすんだ灰色の濃淡が、すたれ、くずれ、削れ、何かを貼られ剥がされ、さらにくすんでいる。それが路地の壁がある限りずっと続く。そのさまは心のヒダをギュンギュンに揺らす。全然飽きない。つまり胡同はニールヤングの電気音だ。歌ってギターソロ歌ってギターソロが延々続き、ただヘロヘロに増幅し続ける。でも退屈じゃない。それどころかずっとやってて欲しい。

 そんなことを考えながらブラついていると、いつの間にか壁の内側に入り込んでしまい、くずれかけそうな家の中庭ではニット帽を目深にかぶった性別不明の老人が、乱雑に並んだサボテンやアロエみたいな鈍臭い感じの植物にヤカンで水をやっている。ふいに目が合うと、閉じられた歯の先から「小さいツ」を連続して吐き出してきて、ぼくはあとずさる。それでも、いつかはあんな暮らしも良いかもしれないと振り返らずにふと思う。

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